風景写真のプロ秦達夫に聞く1:
作品づくりのノウハウ

「秦先生、プリントしたくなるのはどんなときですか?」

風景写真のプロ秦達夫に聞く1:作品づくりのノウハウ

風景写真のプロ
秦達夫に聞く1:
作品づくりのノウハウ

「秦先生、プリントしたくなるのはどんなときですか?」

「写真はプリントで完結する。そして、撮影とプリントは直結する」をテーマに、GANREF( https://ganref.jp)の写真愛好家がプロに同行して撮影とプリントのノウハウを学ぶこの企画。写真が好きだからこそ知りたい現場におけるプロの技やモノの見方、そして考え方を紹介します。

秦達夫(はたたつお)

1970年長野県飯田市遠山郷生まれ。自動車販売会社退職後、バイクショップに勤務。後に家業を継ぐために写真の勉強を始め、写真に自分の可能性を見出し写真家を志す。写真家竹内敏信氏の弟子となり独立。故郷の湯立神楽「霜月祭」を取材した『あらびるでな』で第八回藤本四八写真賞受賞。同タイトルの写真集を信濃毎日新聞社から出版。『山岳島_屋久島』写真集(日本写真企画)・日本写真家協会会員・日本写真協会会員・Foxfireフィールドスタッフ。

秦達夫(はたたつお)
松村茂一(まつむらしげかず)

プロ志向で風景を撮影する本格派の写真愛好家。自分に足りない何かを見つけるべく、プロの撮影スタイルとプリントワークが体験できる今回の企画に参加。
「プリンターを購入したいと考えていたので、写真のよしあしを見るために純正の光沢紙を使いこなす、という秦さんの考え方がとても参考になりました」

松村茂一(まつむらしげかず)

01今回の撮影地:
奥多摩 海沢三滝コース

今回訪れたのは、東京都西多摩郡奥多摩町海澤にある「海沢園地」を出発し、「三ツ釜の滝」を経由して「ネジレの滝」へ至る渓谷沿いのトレッキングコース。秘境の雰囲気が味わえる撮影スポットですが、木の根や岩により滑りやすく、道が不明瞭で滑落の危険がある場所も存在します。訪れる際は十分に情報を集め、注意して撮影に臨みましょう。
参考URL: https://www.yamakei-online.com/trailhead/detail.php?id=1567

02写真家の思考:
写真展が僕の着地点

風景写真家・秦達夫さんは、素朴な雰囲気から一見すると朴訥に見えます。しかしながら、その語り口は軽妙で、決して昔気質の写真家ではありません。どんなに難しい質問にも、柔和な表情で自分の考えを述べてくれる、穏やかな人柄のもち主です。「写真の文化」を大切に思い、そしてデジタルツールを駆使して作品を生み出している秦さんだからこそ、プリントに対する持論があるはずと考え、秦さんに質問してみました。
秦:今の時代、モニターで写真を見る人も多いと思うのですが、写真家としての僕の着地点は「写真展」であり、「写真集」なんです。WebやSNSなどで完結する活動はしていなくて、「紙」という媒体で表現した写真が僕にとっての完成形なんですよね。もちろん、プリンターでプリントする写真も含まれます。
表現者、写真家として生きていく中で、写真展をできる写真家になりたいっていう思いがあって。でも、写真展を開催するにはもの凄くパワーが必要なんです。財力も必要ですし。だからこそ、それをできる自分であり続けることは、写真家の証明でもあると思うんです。
写真展をやると、写真を見に来てくれる人がいて、自分の作った会場に足を運んでくれる人の声が聞けて、写真を見てくれる人の顔も見えてくる。これは、SNSでは得られない貴重な経験です。それが次への力になると思うし、新しい発想だとか勉強の場になるのだと信じています。
写真展が写真家として成長するために絶対的に必要なことだとしたら、展示するためのプリントも同じです。僕には必要なものなんです。プリントした写真を見てもらう。そして、その人たちと会話をする。それって、すごく大切なことだなって思います。
だから僕にとって、プリントするのは当たり前のことなんです。
秦さんは「写真の撮影に疲れたら、気分転換に写真を撮りに行く」という
秦さんは「写真の撮影に疲れたら、気分転換に写真を撮りに行く」という。最初は冗談なのだろうと思っていたが、取材の間ずっと口にしていた「撮影地を楽しみましょう」という言葉からも、真実なのだなと実感する

03撮影の現場では
「いかに楽しむか」が大切

秦さんに導かれ、訪れた撮影地は東京都の奥多摩。大岳山、御岳山方面への登山口になっている「海沢園地」から撮影をスタートして、渓流沿いに撮影しつつ「ネジレの滝」に到達するというコースです。
海沢周辺図
海沢周辺図を見る秦さんと松村さん
周辺図の前で撮影の行程を語り合う秦さんと松村さん。同行する取材陣は「長靴で行ける簡単なコース」と説明を受けていましたが、風景写真家の言葉は鵜呑みにしてはいけないと後悔することとなります。事前の確認が終わり秦さんたちは歩きはじめました。
秦:この季節(10月上旬)、「ネジレの滝」は正午ごろに光芒が射します。さっきまで雨でしたから、滝の水量も申し分ないはずです。いい写真が撮れますよ。陽も射してきましたし。
「本当に撮影に行くのだろうか?」と不安になるほどの大雨も上がり、木漏れ日が射す中で撮影がスタートしました。秦さんは、「いつ」「どこに」「どのような光が射し」「どんな景色が見られるか」を考えて全国を撮影しているといいます。軽い口調で語りますが、その言葉の裏には、長い年月をかけて同じ場所を繰り返し訪問し、少しずつ情報を蓄積し続けたプロとしての重みが感じられます。
当日使用したカメラは、オリンパスの「OM-D E-M1 Mark II」(以下、「E-M1 Mark II」)。抜群の防水性能を誇り、渓流や滝のような水しぶきを浴びるシーンに最適な機種です。カメラをセットする三脚は、自身がプロデュースしたものでした。
撮影機材
撮影機材は、オリンパス「OM-D E-M1 Mark II」に、「M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO」、「M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO」、「M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO」、「M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO」、「M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PRO」など。どんなシーンでも対応できるだけのレンズを持ち歩くが、オリンパスならこのコンパクトなバックパック一つに収まり身軽だ
OM-D E-M1 Mark II: https://www.olympus-imaging.jp/product/dslr/em1mk2/
今回の機材の選定に関して質問すると…
秦:今回使用するプリンターは、グレーインク搭載(ライトグレー、グレー、ブラックの3種類のブラックインク)のエプソン「SC-PX5VII」です。シャドウ側のダイナミックレンジが広いプリンターですから、黒の階調はプリンターに任せて、撮影では白とびに注意しましょう。「E-M1 Mark II」はシャドウやハイライトの階調を調整できるので、滝や渓流の白い水しぶきなどを質感高く再現できるはずです。
歩きながらそう話していたかと思うと、即座にカメラを三脚にセットしてシャッターを切り始めました。スタート地点からほんの数十歩の場所です。レンズを向けるのは、目の前の渓流ではなくて空。太陽光を透かした木の葉にフォーカスしています。清らかな水の流れだけを見ていると、見逃してしまう被写体です。同行する村松さんも、秦さんの動きを見てシャッターを切りはじめました。
カメラを三脚にセットしてシャッターを切り始めた秦さん
開始早々撮影に集中する秦さん。同行スタッフはいきなり始まった撮影に少し戸惑い気味
OM-D E-M1 Mark II/M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO/150mm/マニュアル露出(F4.5、1/800秒)/ISO 800/WB:晴天
OM-D E-M1 Mark II/M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO/150mm/マニュアル露出(F4.5、1/800秒)/ISO 800/WB:晴天
フィールドに入ると秦さんの動きは素早くなります。渓流沿いだからといって水辺だけを見ているわけではなくて、空や地面、岩、木の隙間など、全方位にアンテナを張り巡らせて、あらゆるポイントから被写体を探し出しているようです。そんな秦さんは、とても楽しそうに撮影をします。理由を尋ねると……
秦:外で遊ぶのが好きだから、その延長です。行った先で写真を撮って、帰ってきてみんなに見てもらう。言葉や絵が巧みなら、そっちをやっていたかもしれません。
とやはり楽しそうにシャッターを切ります。
秦:美しいものは見ていたい。四季のある国に育った人なら共通していると思いますが、漠然と自然風景が好きなんだと思います。賑やかさ、穏やかさ、激しさ、厳しささ、寂しさなどをもち合わせており、それをひっくるめて美しさになる。自分の心境によって見え方が変わり、様々な思考が展開するところが風景写真の魅力のひとつなんです。

04よい写真だからこそ
よいプリントにしたい

カメラの設定を訊く隙も与えず、おもむろに水面を撮り始めた秦さん。それくらいに、フィールドにおける秦さんの行動は素早いです。撮影を背後から眺めても透明な水の流れが見えるだけで、渓流沿いを歩けばどこにでも見られるありきたりな光景なのですが……?
秦:アメンボを撮ってます。水面にきれいな波紋を作るんですが、被写体が小さい上に素早いから、ピント合わせが難しいですね。
水面を撮り始めた秦さん
そばにいても、今なにを撮っているのか分からない。秦さんはそんな小さな変化も見逃さない
OM-D  E-M1 Mark II/M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8  PRO/150mm/マニュアル露出(F4.5、1/800秒)/ISO 800/WB:晴天
OM-D E-M1 Mark II/M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO/150mm/マニュアル露出(F4.5、1/800秒)/ISO 800/WB:晴天
水面のわずかな変化を感じ取りレンズを向けます。背後から見ていてもほとんど分からない微細な水面の様子も、風景写真家の目には美しい被写体として捉えられています。
秦:基本としているカメラの設定は、絞り優先AEの「A」とマニュアルの「M」、WBは「晴天」、ISO感度は固定で状況により調整します。今回の撮影地では、陽の当たらない薄暗い場所が多いので、色の深みを出すために少し派手な色彩になるピクチャーモードの「Vivid」をベースにしています。それと、プリントで白とびを出したくないので、水の流れを撮るときは「ハイライト&シャドウコントロール」でハイライトを抑えたりもします。記録はRAW+JPEGの同時撮影ですが、これに関してはプリント作業のときに説明しますね。
陽射しのない薄暗いシーンは、プリントで発色のよさを出すためにも「Vivid」設定が適している
同じ「E-M1 Mark II」を使う松村さんに、カメラの設定に関するアドバイスを送る秦さん。
同じ「E-M1 Mark II」を使う松村さんに、カメラの設定に関するアドバイスを送る秦さん。今回の撮影シーンで要となった設定が「ピクチャーモード」で、陽射しのない薄暗いシーンは、プリントで発色のよさを出すためにも「Vivid」設定が適していると話す
登山道わきの水辺で秦さんが目を付けたのは、細く水が流れ落ちるシーンです。
秦:繊細な水の流れなので、ハイライトを抑えて撮影するときれいなプリントになると思いますよ。よい写真だからこそ美しいプリントを作りたいです。そのためには撮影時点での設定が大切ですね。
とのこと。写真展や写真集の制作に注力しているため、紙による写真表現をとても重視しています。モニターでは得られない紙やインクならではの色彩の奥深さで、見るひとに写真の美しさや感動を伝えるというわけです。
フィールドを長靴で歩き回るのが秦さんの撮影スタイル
ジャブジャブと渓流の中に入ると、水中で三脚を立てて岩間を落ちる水の流れを狙う。フィールドを長靴で歩き回るのが秦さんの撮影スタイル
とにかく、秦さんはいろいろな方向にレンズを向けます。ときには地を這うような低さから、ときには被写体に触れるくらいの距離から、そして被写体を大胆に捉える正面のアングルで攻めます。納得のカットを写したら、すぐさま移動を開始して、その動きを松村さんが追います。秦さんの念頭には、最終目的地である「ネジレの滝」に光芒の射す時間があります。その時間に間に合うように、絶え間なく撮影と移動を繰り返していきます。
苔や木の葉、草花、滝と、次々と被写体を捉えていく
苔や木の葉、草花、滝と、次々と被写体を捉えていく。「じっくりと撮影するためにも、迅速な移動が不可欠です」と言葉を残し、岩場を身軽に駆け上がると道の奥へと消えてしまう。
撮影の現場において、当初は松村さんにアドバイスを送っていた秦さんでしたが、徐々にその時間も減り、松村さんも自分のポジションで被写体と向き合っていきます。その辺りから、秦さんは風景写真家としての本領を発揮しはじめました。
秦:危ないですから無理についてこないでください。
と声をかけると、岩場の向こうへと姿を消しました。覗き込むと、4~5メートルはありそうな高さです。足場など見当たらず、カメラバッグを背負って三脚を持ち、長靴でどうやって降りたのでしょうか?
崖の下に降りたかと思えば、対岸の斜面をよじ登り、三脚を担いで道なき道を突き進む
崖の下に降りたかと思えば、対岸の斜面をよじ登り、三脚を担いで道なき道を突き進む。そしてまた岩を登り、周囲を見渡して被写体を探す。松村さんも力強い足取りで登山道をばく進。風景写真家たちの底力を改めて実感。

05好きなフィールドで
テンションを上げる

姿は見えませんが、秦さんの大声が前方から届きます。
秦:急いで!
不安定な足取りで渓流沿いの岩を踏み、乗り越え、大岩を回り込んだ先で、秦さんと松村さんがシャッターを切っていました。よほど急いでいたのか、秦さんはカメラバッグを背負ったままの姿です。二人が撮影しているのは、大きく割けた岩の間を二段に分かれて流れ落ちる「ネジレの滝」です。岩の隙間から、微かに光芒が射す様子が窺えました。秦さんが到着したときはもっとハッキリと見えていたとのことです。
秦:そのシーンは撮影してあるので、戻ったらプリントしましょう
今回の撮影行の最終目的地でもある「ネジレの滝」
今回の撮影行の最終目的地でもある「ネジレの滝」。撮影した時期(10月上旬)は、正午ごろに来ると滝筋に射す光芒が写せる(可能性が高い)とのこと
写した写真を確認しながら、さらに撮影を続ける秦さん。今回のメイン被写体ということもあり、ここでは時間をかけてベストな瞬間を待っています。陽が出たり陰ったり。そのたびに、滝に射す光芒がユラユラと濃淡を変えます。その変化に呼応するように、秦さんと松村さんは無言でシャッターを切り続けます。そんな時間が、しばらくの間続きました。
厳しい眼差しでタイミングを待つ
今回の撮影で見せた、唯一ともいえる厳しい眼差しでタイミングを待つ。「撮影の設定は?」などと気軽に尋ねられる雰囲気ではなく、状況写真を撮ることさえ憚られる緊張感が漂う
「ネジレの滝」の撮影を終えても、まだ帰る気配はありません。カメラをセットした三脚を担ぎ、周囲を歩き回っています。次なるターゲットを探しているようです。秦さんは、「よい写真を撮る秘訣は、好きなフィールドでテンションを上げること」といいます。だから、滝つぼの水を勢いよく両手でかき混ぜ始めたとき、楽しくて水遊びをしているのだろうと勘違いをしてしまいました。でも、写した写真を見せてもらって納得です。先ほどの行為は遊んでいたのではなく、小さな滝つぼの水流に乗るように木の葉を集めていたというわけです。
よい写真を撮る秘訣は、好きなフィールドでテンションを上げること
OM-D E-M1 Mark II/M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO/12mm/マニュアル露出(F22、15秒)/ISO 64/WB:晴天
OM-D E-M1 Mark II/M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO/12mm/マニュアル露出(F22、15秒)/ISO 64/WB:晴天
撮影を終え、いよいよ帰途につきます。奇しくも同行スタッフの撮影機材もオリンパスでしたが、それでもこの時点で足もとがふらついています。軽量なカメラでなかったらと想像するとゾッとしました。秦さんは、いつもの撮影旅行ならこのあとは別の目的地に向かい、同じような行動を何度か繰り返すそうです。しかも、幾日もかけて。それだけ撮影を繰り返しても空振りがあるというのだから、風景の撮影は奥が深いといわざるを得ません。そんな珠玉の写真だからこそ、感動を生むプリントを作りたいのだという秦さんの思いがひしひしと伝わる撮影行でした。