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展覧会情報

展覧会連動企画レポート

元田敬三×ハービー・山口 Gallery talk「写真家になる日」 2013年7月20日、元田敬三写真展「Sunday Harajuku」のギャラリートークの第2弾が行われました。今回はスペシャルゲストとして写真家のハービー・山口さんをお迎えしました。
トークゲスト: 元田敬三(写真家)、ハービー・山口(写真家)
進行: 柿島貴志(写真専門ギャラリーPOETIC SCAPE 代表/ディレクター)
会場の様子

今回のトークのスペシャルゲスト、ハービー・山口さんはミュージシャンのポートレートや何気ないストリートでのスナップで知られる写真家です。ストリートで魅力ある写真を撮り続けるお二人に、人物のスナップショットを撮る上で実践されていることや写真を通じての人とのコミュニケーションについてお話いただきました。
進行、聞き手は当写真展のキュレーションを手がけた柿島貴志さんです。会場には多くのお客様にお越しいただきました。

柿島:
元田さんは20代のころに1990年代に大阪で写真を撮り始めて、ハービーさんは1973年、23歳の時にロンドンに渡って写真を撮られておられます。お二方は世代も違いますが、当時の作品を見ながら共通点も含めてお話いただければと思います。
元田:
僕は写真を撮り始めたときから、理由もなく人が撮りたいと思っていて、街で人を撮っていました。
ハービー:
大阪の人は、東京の人みたいに人との間に距離を置く感じじゃないから、写真でも人の存在感が強く出ていますよね。モノクロ写真で、街の人々の悲喜こもごもの人生を撮りたいと思われていたわけですね。
元田:
そうですね。街に出かけて気になった人がいたら、「写真を撮らせてください」と声をかけて撮るようになりました。学生のころから声をかけて撮るというのが自分のスタイルみたいになっていました。声をかけずにスナップショットを撮る、という人も学校にはいましたけど、僕は声をかける方が撮りやすかったんです。
ハービー:
声をかけることで、撮られる人と元田さんとの間に関係性が生まれるんですね。撮られる人が元田さんのことを受け入れて撮れる、ってことですね。僕も声をかけて撮るタイプですね。
柿島:
僕はギャラリーのディレクターという立場上、いろいろな人の写真を見ることが多いのですが、最近の傾向としてスナップショットで知らない人を撮ったもの、というのが少ないということなんですね。元田さんやハービーさんのように初めて出会った人に声をかけて写真を撮る、という距離感の持ち方で撮られた写真を見て新鮮に感じるんです。
元田:
僕は街中の人がいっぱいいるようなところで撮るんですが、5メートルぐらい先に、撮りたいなと思うような人に出会うと、撮らずにはいられないという衝動に駆られるんです。ハービーさんの場合はどうですか?
ハービー:
僕の感性に響いてくる人、というのはそこにいると、スポットライトを浴びているかのように目立って見えてくるんです。元田さんのように突進はしないけどね(笑)、忍び足で近づいていくんですよ。声をかけて断られることありますか?
元田:
いや、ほとんど撮らせてもらえます。断られた時のことを忘れてしまっているということもありますが(笑)。その場のノリにあわせるというよりも、「写真撮らせてもらえませんか」と敬語でお願いするんです。一度断られても、どうしても撮りたいと思ったらもう一度お願いして、撮らせてもらうこともあります。撮る理由や目的を話した上でまだ納得してもらえない場合は、その場でビール買ってきて、ビールを一緒に飲みながら打ち解けて、その後に撮らせてもらったこともありますね。
ハービー:
その人が持っているバイブレーションの中に入り込んでいきながら、撮るということなんだね。僕は、80年代の後半に洋楽のバンドが来日した時に、ライブ会場の周辺にいる女の子たちを撮っていましたね。元田さんの写真は、当時の風俗や世相を反映するドキュメンタリーとも言えるわけですね。
柿島:
ハービーさんは、いろいろなミュージシャンの写真を撮られていますが、その原点にあるロンドン時代のことをお話いただけますか?
ハービー:
ロンドンではミュージシャンだけじゃなくて、街の人、子どもたちやお年寄り、いろんな人たちを撮っていました。ロンドンでは周りにミュージシャンがいっぱいいるような状況でした。地下鉄のホームでザ・クラッシュのジョー・ストラマーを見かけて、恐る恐る「写真を撮ってもいいですか?」と尋ねたら「撮りたいものはすべて撮るんだ。それがパンクなんだ」と答えて、写真を撮らせてくれたんですよ。今でもその言葉が私の人生の座右の銘になっています。そういう人生訓を言ってくれるミュージシャンがイギリスにはいましたよ。結婚前のダイアナ妃ともたまたま居合わせて写真を撮っていますね。
ハービー・山口氏、柿島貴志氏
柿島:
被写体との関係性の話になるんだと思うんですが、偶然によって撮影された写真とはいえ、撮ることへ向けたアクションをして動いているからですね。元田さんもそうなんですが、まったく見知らぬ人に声をかけて写真を撮る、という人は最近少ないような気がします。そのあたりについてはどう思われますか?
ハービー:
昨今は個人情報に関わるルールが厳しくなっていますから、そのルールにがんじがらめになっている人も多いですけど、一度断られても粘り強くはたらきかければ撮らせてもらえることもあるんですよ。
元田:
撮りたいなと思ってその時は撮れなくても、時間が経ってまた巡り会うことがあって、会うことが決まっていたんじゃないか、と思うことがありますね。
ハービー:
撮る側としては、写真家は被写体を観察していると思うけれど、被写体の方も撮る側のことを観察しているんですよね。五分五分で。面接試験しているようなもので、それに合格したら撮らせてもらえるんですよね。声をかけて撮る、というとナンパしてるみたいな見られ方をするんですが、それは違うんですよね。
元田:
大阪時代の写真に話を戻しましょう。「OSAKA SNAP」という写真集の表紙に使っている写真で、イトイ君という、当時京都に住んでいて大阪のアメリカ村に通っていた男の子が写っています。彼は、自称「ストリート・ファイター」で、街中を上半身裸でウロウロしているんですね。彼に頼んでシャドーボクシングをしてもらって、街中の情景とイトイ君を一緒に撮りました。僕は、街の中で人を撮ることで、その人だけではなく街の情景が写り込むことがおもしろいなぁ、とずっと思っていたんですよ。
元田敬三氏
柿島:
今回のSunday Harajuku展は、ローラー族の人たちを撮った写真の展覧会でもあるのですが、それだけではなくて観客や場所の写り込み方もおもしろいですよね。
元田:
Sunday Harajukuの写真をワイドラックスというパノラマ・カメラを使って撮影したのも、160度の画角で場所全体を撮りたかったからなんですよね。画面はコントロールしづらくて何が写っているかわからないわけです。今回の展覧会で大きく引伸ばすことで、それまで気づかなかった人やものの写り込みに気づいたりしました。
柿島:
元田さんは、撮影時に被写体になる人に声をかけるだけではなくて、撮影した写真を被写体になった人に渡す、っていうこともあるんですよね。
元田:
そうですね、今だとメールのやり取りでできますけど、1990年代当時は手帳に連絡先や住所を書いてもらって写真を送ったりすると返事があったりするんです。撮影した人にロミさんという女性がいるんですが、彼女から写真へのお礼の手紙をもらって、数年後に彼女に会って話をした時に、僕が撮った写真に写っていた時の自分が一番好きで、写真を見ると励まされる、と言ってくれたんですよ。写真は自分が撮りたいから撮っているだけだと思っていたんですが、このことがあってはじめて、自分の写真が人の役にたてることがあるんだ、と思ったんですよ。
ハービー:
写真を撮るっていう行為が、場合によっては人をある意味救うっていうこともあるんだよね。
元田:
自分も20代の若いころは、自分の欲求を満たすことを目的にして生きていけるんですが、だんだん中年になってきて、人や世の中の役に立てないと空しい、という気持ちもでてきましたね。
柿島:
ハービーさんも元田さんも、撮った写真を相手に差しあげていらっしゃいますよね。現在はデジタルの画像を簡単に共有できますが、ものとしてのプリントをもらう、ということは相当に嬉しいことですよね。僕は写真をプリントというものにすることは大事だと思っているので、そのあたりはどのように考えておられますか?
元田:
僕はもとから「もの」として写真と接しています。だから、写真のプリントを封筒に入れて郵送して相手のもとに届くということが、僕にとってリアルなことなのです。相手がその後ずっと持ってくれているということがね。その後に、その写真が持っている人とともに移動して旅をして行く、ということが僕にとって大切なことなんですよ。
ハービー:
写真を撮る時に相手に情熱を注いで、プリントをする時に再び同じ情熱を注ぐ。プリントにはその二重の情熱が込められているので、そのプリントを相手に差しあげることで、神社のお札のようにその人を守って欲しいと思う気持ちもありますね。
柿島:
お二人は、震災後の被災地で写真を撮られてますね。その辺りのことを少しお話しいただけますか?
ハービー:
シド・ビシャスの唄う「マイ・ウェイ」をBGMに、被災地で撮影した写真のスライドショーを見ていただきましょう。「マイ・ウェイ」は元々フランク・シナトラが歌っていて、「私は心のままに生きてきたから人生に悔いはない」という歌ですよね。シド・ビシャスはセックス・ピストルズというパンクバンドで歌っていたわけです。イギリスは厳然たる階級社会で、パンクロックはその階級社会のあり方に対して、抗い、自由に信念を持って生きようというメッセージを投げかけたわけです。東北の被災地の人たちは震災や津波で、いろいろなものや大切な家族を失ってしまったわけですが、それでも前を向いて生きていこうとする姿は、僕の中ではパンクロックのメッセージとなんか一致したんですよ。東北の人には「人を助けて当たり前」みたいな精神性が根強くあるので、その精神性を世界に向けて伝えたいなと思っています。
小林:
震災後仕事で何回か被災地には行っていたこともありました。最近は、運良く産經新聞で連載をさせていただくことになって、記者の方と一緒に月に一度被災地に行って、車で移動しながら、気になる人を見つけたら声をかけて写真を撮っています。これからも続けていこうと思っています。

スナップ写真

柿島:
今回のトークショーの副題は「写真家になる日」というものです。これはハービーさんの著書からとっているものですが、お二人にとって「写真家」として自覚したころって覚えていらっしゃいますか?
ハービー:
僕は中学二年生から写真を撮っています。それまでブラスバンドをやっていて音楽家になりたかったんだけどあまりにも才能がなくて、写真をやるようになりました。その時から写真は自分の気持ちを表すのにあっているのではないかと直感し、高校生のころには写真家になろうと思っていました。僕は子どものころから身体が弱くて、いじめられっ子だったわけですが、そんな僕でも人の心を優しくする写真が撮れるんじゃないか、と思ったんですね。その気持ちは50年近く経った今も続いていますね。
元田:
僕が大阪でスナップを撮っていたのは専門学校在学中で、写真を撮る時に「写真の勉強をしているので撮らせてください」って言っていたんですね。卒業後すぐに上京して写真を撮ろうと思った時に、写真を撮る時に相手になんて言ったらいいんだろう、と思った時に名刺を作ったんですけど肩書きに「路上写真家」って入れました。(笑)凄い恥ずかしくって、周りにも笑われたんですけど、そのとき自分は写真家なんだって強く意識して覚悟しました。
ハービー:
写真家になる日、というのはカメラを買った日のことではなくて、本当に撮らなきゃいけないと心から思った被写体に出会った日のことなんですね。それが僕の持論です。義務や課題とかじゃなくて、命かけてでも撮らないといけない、と思うことですよね。
元田:
今回の展覧会の写真も、撮るだけならさほど時間はかからないのかもしれませんが、6年近く毎週原宿に通って、ローラーの人たちと関係を結んで、仲良くなって、僕が空気みたいな存在になっていったからこそ撮れたんだと思います。時間をかけて撮り続けてようやく納得したので、ようやく写真集としてまとまったんですね。
柿島:
時間をかけて関係を築き上げて撮り続けてこられたからこそ、写真に力が宿り、見る人に勇気を与えるわけですよね。今日は長い時間お話しいただきありがとうございました。

会場の様子2