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展覧会情報

展覧会連動企画レポート

Yu Yamauchi Gallery talk 2013年2月、山内悠写真展「夜明け」の開催に合わせトークショー『「夜明け」に至るまで-写真との対話』が行われました。その模様をお伝えします。
トークゲスト: 山内悠(写真家)
進行: 小林美香(写真研究者)
山内さん手作りのブック

2010年に「夜明け」の最初の展覧会を開催した山内悠さん。13回目になる今回の展覧会にあたって、写真に取り組むきっかけ、富士山七合目で「夜明け」の撮影に至った経緯、これまでの展覧会の変遷について語っていただきました。
トークショーの会場には、山内さんが中学生のころから節目ごとに手作りで制作したブックも持ち込まれました。
これらのブックを通じて山内さんの軌跡が紐解かれていきます。

会場内観
小林:
写真を撮り始めるようになったきっかけからお話いただけますか?
山内:
中学を卒業するときに卒業アルバムとは別にクラスの写真集を作るために、父親のペンタックスのカメラで撮影した写真を紙に貼ってコピーして「三年三組のゆかいな仲間たち」というのを作りました。写真をまとめるのっておもしろいなぁ、と思いました。写真家を目指す気持ちはさらさらなくて、写真は楽しんで撮っていたのですが、20歳頃のときに「撮った写真に責任を持ちなさい」というようなことを、誰か言われたか何かで読んだかして、「写真に責任を持つ」ってどういうことだろう、と考えるようになって、写真集を見たりするようになったんです。
大学は近畿大学の商経学部で、写真には何の関係もないところで、まじめに通っていたわけではなかったです。ちょうどそのころ作ったのが「俺のセンチな青い春」で、エプソンのプリンターを使って作りました。後に2006年のエプソンのカラーイメージング・コンテストに出したら賞をいただいたんです。10代の中学生のころから撮った写真をまとめたのですが、このころから自分の人生の中で節目になるような時に写真をまとめていくようになりました。この写真集には、高校を出たころにつきあっていた彼女の写真が入っていますが、当時は彼女ばっかり撮っていましたね。ちょうど高校を卒業するころで旅に出るようにもなっていました。日常生活の中で撮影していた写真は、なんだかもやもやとした雰囲気が漂っているのですが、旅に出ると充実してくるんです。
小林:
旅をしながら写真を撮るようになっていったのですね。
山内:
日常の中でもやもやとした気分を吐き出したい、という気持ちもあったんです。18切符で日本一周したり、お金がないけど旅をしたくてヒッチハイクをするとか。そういう時の自分はめちゃくちゃ生き生きした気分なんです。日常生活の自分と、旅の中の自分を結びつけたい、という気持ちで日常の写真と旅の写真を混ぜてまとめた「U-Remix」というブックも作っています。
小林:
そういったブックは一部だけ作られるわけですから、いわば自分のアルバムとして自己完結しているわけですよね。写真をまとめる作業をする中で、写真家を目指そうという気持ちが芽生えていったのですか?
山内:
いや、そういう気持ちはなかったです。大学生のころはバーテンダーや飲食関係のバイトをしていて、飲食の仕事が天職かというぐらい向いていたんです。店の主任になったり、店の立ち上げに関わったりしたこともあります。このまま、こういう仕事でやっていくのかな、と思った時に、自分の自由が奪われていくような気がして、旅に出られる自由が欲しいと思って、写真だったらそれができるかもしれないと思って、大阪の店で働いていた時に知り合ったカメラマンの人を頼って東京に出たんです。写真の学校も行ってなかったですけど、自分が作った「U-Remix」を持って面接に行ったらアシスタントに採用してもらえました。スタジオで撮る写真はライティングをしたり、作り込んだりするもので、それまで自分が撮ってきた写真とは全然違うので、自分の写真が撮れなくなってきてわけがわからなくなってきたんですよね。そのころに作ったのが「LITTLE TOKYO」というブックなんですが、今見返してみると、過去の自分の写真を追いかけていたような気がしますね。
 
トークショーの様子
小林:
仕事をしていると旅にも出られない、ということでフラストレーションもたまりますね。
山内:
糞詰まりの気分だったころに、カメラマンのアシスタント仲間だった友達から「富士山の山小屋で働くおじさんが歳をとって体が動かなくなってきたから、手伝ってくれる若い人を捜している」という話を聞いて、「それはどういうことなんだ?」と思ったんです。山小屋に連絡をして働くことが決まった時に、それまでに撮った写真をまとめて作ったのが「初夏」というブックです。このブックは、ストレートに気持ちよく写真が撮れるようになったころの写真ですね。
2006年に富士山に行って、山小屋での生活を始めるようになりました。それまでに旅をしてきていろいろな場所に行ってきましたが、その旅の流れの中に再び入っていくような感じでした。雲の上の山小屋で人の営みがあるということは、世界中探してもそうそうあることじゃないですよね。水道、ガス、電気もないので、水を集めて、ソーラ発電で蓄電する、毎日することが「生きる」という営みそのものなんですね。人間誰しも起きてから寝るまで、「生きる」ということを毎日しているわけですけれども、山小屋での生活はそれがとても直接的で、充実感を感じました。その充実感は旅の中で感じていたものと同じで、旅と日常がここで重なったんですね。仕事や肩書き、名前といった属性がどんどん削ぎ落とされていって、解放されていくように感じたんですね。最初は、長期間いるつもりではなかったのですが、次第に「飽きるまでここにいよう」と思うようになって、最終的には延べ600日間滞在しました。最初は夏が終わったら西表島に渡って、それから大陸の方に三年ぐらい旅を続けようと思っていたんですよ。そのために、東京の家は引き払ってましたから。最小限の荷物を友達の家に置かせてもらっていたんです。富士山から下山したときに「俺のセンチな青い春」がエプソンのカラーイメージング・コンテストに入賞したと連絡があり、東京に戻って荷物を置いていた友達の家に住まわせてもらうことになりました。富士山で撮影した写真を現像して見て、もう一度富士山に登ろうと思い、沖縄に旅をした後で富士山に戻って撮影を続けていったんですね。4年間で、毎回5カ月ぐらい富士山に滞在したことになります。雲だけを撮影しているわけではなくて、毎日の生活の中で何でも撮るわけです。山小屋や、そこでの生活やスタッフ、山小屋のおじさん、登山者の人たちとかね。
小林:
2010年に赤々舎から写真集『夜明け』が刊行されますが、刊行までのいきさつはどのようなものだったのでしょうか?
山内:
富士山に行くようになって3年目になって、写真がたまってきたのでいろいろなところに見せに行っていたのですが、どこにも引っかからず玉砕していました。翌年に何度も赤々舎に連絡をして、ようやく社長の姫野さんに見ていただいて2010年9月に出版に至りました。写真集としてできあがったのですが出来上がった写真集を見て、なんだか自分でよくわからない感じがしました。これまでに、自分の人生の節目にブックを作って振り返る、ということをしていましたが、写真集ができて感じたことは、生まれたばかりの赤ちゃんを目の前にして、この赤ちゃんはこの先どうなっていくんだろう、って思う感じに近いかもしれませんね。
小林:
今まで作られていたブックが自分のアルバムに近いものだとしたら、この写真集は写真集というかたちで誕生して、その後の展示やスライドショーというかたちで育っていったということなんでしょうか?
山内:
そうですね。富士山での撮影に話は戻るのですが、撮影をしていた時に、山小屋のおじさんが心臓が悪くて、一度死にそうになったことがあったんですね。富士山登山が観光産業化していって、環境問題が深刻化するなかで、おじさんは環境と登山の関係をより良くしていくための活動を懸命に続けられてきた人なのです。そのおじさんの瀕死の状況に直面して、自分は富士山の山小屋で写真を撮り続けながら、おじさんのしてきたことをなぜ残してこなかったのだろう、とショックを受けました。結局は自分の自己満足のためにしか写真を撮ってこなかったんじゃないかと、気づかされたんです。
小林:
そのことが、自分のために写真を撮ることから、社会に写真を開いていくきっかけになったのですね。
山内:
幸いなことに、そのおじさんは亡くならなかったので良かったのですが、このことをきっかけに作ったのが「雲の上に住む人」という作品です。
小林:
「夜明け」には写っていない、富士山での生活のもうひとつの側面をとらえた作品ということですね。写真集を出版されてから続けてこられた展覧会もまた、旅というかたちになっていきますね。
山内:
最初の展覧会は、当時清澄白河にあった赤々舎のギャラリーでの展示です。その後も都内の書店のギャラリーなどいろいろな場所で展示をしてきました。その後出身地である大阪のアセンスという書店の上のホールで展示をしました。写真展は一種のライブだとおもうようになっていったので、基本的には毎日展覧会場にいるようにしました。写真集や作品も自分で頑張って売っていました。大阪での展示はちょうど震災のころと重なって、「今自分たちが生きている場所はどういうところなのか。」ということをどうしても言わなければならない、という気持ちになってきました。それで日本全国を、写真展行脚をするようになったんです。写真展で会場にさまざまな人に会ってさまざまな反応をいただく中で、自分の中で自分が撮ってきた写真のことが解ってくるようになってきたんです。
小林:
いろいろな場所で展示をされてきたんですよね。
山内:
そうですね、福岡のギャラリーでも開催しましたし、名古屋のギャラリーでの展示ではビルの屋上にブルーシートのテントを張って寝泊まりしたり、シャワーを浴びたりしていました。(笑)一カ月展示をした北海道のギャラリーは、札幌から車で一時間かかるところで、近くに温泉があるようなところで、お客さんは一日5、6人しか来られないんですけども。僕はギャラリーの二階に寝泊まりして、来られたお客さんと2時間ぐらいいろいろ話をして過ごしました。展覧会を通して知り合った人たちと、一緒に撮った場所を見に行くということもやっています。一緒に富士山に登って、山小屋での生活を見てもらって写真のスライドショーをして、ご来光を一緒に見るのです。そういう体験を通して、僕が見ていたことを体感してもらいたかったんですね。2011年の年末に、東京で、浅草の千駄木にある古民家の二階を山小屋風に改造して、写真を展示したりもしています。その後は鹿児島で展示をさせてもらったことがきっかっけになって、鹿児島を拠点に写真を撮りたいな、と考えているところです。あと、ニューヨークのギャラリーでも展示をさせてもらう機会があったので、これからも写真と一緒に旅ができたらな、と思っています。展覧会を重ねていくと、前の展覧会を見に来てくれた人と再会してお話しできたりするのも嬉しいです。
会場の様子

-最後に、『夜明け』を作るきっかけになった「雲の上に住む人」というスライドショーを上映し、ギャラリートークは終了しました。山内さんの貴重な自作ブックの披露に会場は沸き上がり、これまでの軌跡をたどる興味深いお話にトークショーは拍手で締めくくられました。