インクジェット 極小の世界への、はるかなる旅

TALK SESSION

インクジェット 極小の世界への、はるかなる旅

小説家/映画監督/脚本家

村上 龍

セイコーエプソン株式会社
プリンティングソリューションズ事業部
副事業部長

細野 聡

Inkjet: A Journey through
the World of the Miniscule

村上龍 Ryu Murakami

細野聡 Satoru Hosono

次世代
インクジェット:
極小の
世界を旅する。

The Next Generation Inkjet:
Traversing the World of the Incredibly Small

村上龍

20世紀末、アメリカを代表するある雑誌が、興味深いアンケートを行った。1001年から2000年のミレニアム期で、もっとも重要な出来事は何かというものだ。その1位は、「グーテンベルクによる聖書の印刷」だった。ちなみに2位は「大航海時代におけるコロンブスのアメリカ到達」、3位が「宗教改革」だ。

「木版」をはじめとして、東アジアにも高度な「印刷技術」があったし、そもそも紙が発明されたのは古代中国だ。だが、西欧文明・文化が、近代以降、歴史の著述をリードしてきたことに加え、発明やイノベーションは、その後の社会的変化の大きさに左右される。「印刷」は、おもに西欧社会の宗教的、政治的な激変につながった。文化的には、たとえばバッハやモーツァルトの音楽は、「楽譜の印刷」によって今日まで人類の財産として残っている。

ルネッサンス期の3大発明は「火薬」 「羅針盤」 「印刷機」と言われる。また、「音声による言葉」 「文字としての言語」 「印刷」 「インターネット」を、人類にとっての4大発明とする説もある。今、印刷は、わたしたちの日常の一部となっている。ありとあらゆる印刷物があり、家庭でもコピーやプリントが簡単にできるようになった。だから、逆に、「印刷」が持つ大きな影響力を忘れがちになっている気がする。

「音声による言葉」 「文字としての言語」 「印刷」 「インターネット」は、いずれも人類の「コミュニケーション」を飛躍的に進化させた。原始時代、わたしたちの祖先は、樹上から平原に降り、直立二足歩行をはじめた。「なぜ立ち上がって歩きはじめたのか」という問いへの解答は諸説あって、わたしが知る限り正解はない。ただ、直立二足歩行によって何が可能になったかは、はっきりしている。両手を自由に使えるようになったのだ。狩猟採集社会の祖先たちは、仕留めた獲物の肉や、採取した果実や穀物を「運べる」ようになった。その場で、単独で消費するのではなく、仲間や家族がいるところまで運び、分け合って食べることが可能になった。

そのことは、コミュニケーションの重要性を刷り込む大きな要因になったと思われる。食料を分け合うというシステムが、自然に、音声による「言葉」の獲得につながったのかもしれない。言葉を得たあと、祖先たちは、「文字」を発明した。文字は書き記され、情報の伝達の距離・空間が拡がり、時を超えた記録が可能になった。

「印刷」がもたらした衝撃はさらに大きかった。その影響と貢献は、思想、宗教、経済、教育、芸術、文学など、人間のありとあらゆる活動領域におよんだ。わたしたちは、そのことを忘れるべきではないと思う。「印刷」 「プリント」が、非常に身近になった今こそ、その「コミュニケーション・ツール」としての重要性に、改めて思いを馳せる必要があるのではないだろうか。先人たちが培ってきた技術と努力へのリスペクトは、オフィスワークにおける意識の違いに直結する。

コピー、スキャン、プリントなどの「事務的作業」は、オフィスで日常的なので、惰性的になりやすい。頭の片隅に、「これはコミュニケーションである」という認識があれば、接し方が少し違ってくるはずだ。別にこむずかしく考える必要はない。「この方法で本当にいいのか」 「もっとわかりやすく、かつ正確に伝える必要はないのか」ほんの30秒間、そう自問するだけで、仕事の密度は増す。

CFに出演し、碓井社長や、プリンター企画設計全般を統轄する細野氏と対談して、わたしは、セイコーエプソン社と深い縁が生まれたのだが、感じるのは、単なる事務機としてではなく、重要なコミュニケーション・ツールととらえて、プリンターをはじめとする機器を開発してきたということだ。「事務機」の開発にはひょっとしたら終点があるかもしれないが、「コミュニケーション・ツール」の開発には終わりも完結もない。挑戦し続けなくてはならない。今回、インクジェットプリンターを大きく進化させた細野氏と語りあって、そのことがさらにはっきりと伝わってきた。

余談となるが、人類が文字とともに獲得したものに「絵」があり、完成度の高い最古の彩色画は、フランス南部、ラスコーの洞窟画だと言われている。紀元前1万5千年ごろに、クロマニヨン人によって描かれたとされる。驚くべきは、その彩色技術だ。クロマニヨン人は、土から3つの色料を見つけた。マグネシウムを含む鉱物から黒色、酸化鉄鉱物からイエローオーカ(黄土色)、および赤色、しかもそれらを獣脂と混ぜて絵具を作った。

そして、さらに興味深いことがもう一つある。彼らは鳥の羽などを利用して絵筆としたが、パイプ状になった骨を用いて、色料を洞窟壁に吹き付けたのである。当然、より細く、より均一な空洞を持つパイプが重宝され、微妙で、かつ正確な吹きつけが必要だっただろう。インクジェットに通じるものがあると思うのは、わたしだけだろうか。インクジェットには、わたしたちの深い部分に訴える「ロマン」があるように思える。

村上龍

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