富田彩子 [藤原新也賞]
─ タイトルが「けしきおぼゆ」。これはどういう意味なの。
もともとは景色に趣きがあるという意味で、平安時代の文体です。地元が京都なので、帰省した時に撮りました。
ふだんは油絵を描いてるのですが、デジタルカメラでは、ドローイングのつもりで自分の好きな様式で写真を撮っています。
─ 和紙にプリントしていますね。
絵巻物とか昔の本とかを古本屋さんなどで見ると、和紙の魅力と写真が自分の中で、とてもマッチしているように感じられました。それで和紙を集め始めたのです。
まだ現像していないものも含めると撮ったのは1000カットぐらいになりますが、プリントアウトしたのは80枚ぐらいです。
─ そこから41ページに編集する力があるんだね、プレゼンテーション能力が高い。これはネイチャー写真だけれども趣味的にすぎず、時代意識、生活感のようなものを反映している。
デジタルカメラではすごくパターンの美しいものができます。光の調整をすると、この世のものだけれども、自分の中のイメージどおりの楽園が立ち上がってくる。見たい世界がデジタルカメラを通して出てくるのが楽しくて。
ただ、どんどん撮っていくうちにすごく儚く見えてきてしまいました。あっというまに消えてしまいそう。それでも、現実を、自分の好きな世界に変えたくて……。
─ これまでのいわゆる「リアル」といえば、存在感があって非情に強硬だという意味あいだったけれども、それがこの作品では、「儚さ」がリアルなんだ。ネイチャー写真というのは、リアルなアナログ世界です。この作品はネイチャー写真だけれども、アナログのリアルさがない。非常にアナログっぽい紙にそういう儚いものをすっと重ねていったという編集力。こういうプレゼンテーションというのは、計算よりも勘で生み出されるものだと思う。今後自然を撮るうえでの一つの新しい方向性だと思います。
でも、私の中では、そこまでネイチャーという意識は……。どうしても夢の中の景色のほうに。自分の見たい世界が大きすぎて。現実なのに幻に見えるような感じを表現したかったのです。
─ 現実の存在に「美」という感覚が入り込んでいくと、サンクチュアリになる。「ネイチャー」というのは比喩です。ネイチャー写真というレッテルを貼られるのはあまり好きではないと思うけれど。仮にこれは都会の風景でもよかったんですか。
都会の風景はあまり好きではないです。自分の中に楽園のような絶対的な世界があり、絵や写真を通じて、見て、感じて、磨いて、つながっていたいのです。
たとえば自分が感じていることとか苦しいこととか、なぜこんな汚い世界に生きているんだろうと思う過程を作品にしようとは思えなくて。もしそうしたら、たぶん、私は負けてしまうような気がするのです。自分自身で常に理想的な世界を探しつづけていけば、常に幸せを噛みしめていられるのではないかと思うので、表現することは自分にとってお守りみたいなものかもしれません。
藤田幸子 [森山大道賞]
すべてセルフポートレートです。私はいま34歳で、結婚をしていないのですが、周りは当然みんな結婚して子どもがいたり、という状態が多く、私はどうなっていくのかなということを、ほんとうにごく単純に考えてしまうのです。もしかしたら子どもを産まないのかもしれない、このまま結婚もしないかもしれない。もちろん先のことは何もわからないですけれど。そういう風に思ったら、なんとなく自分を撮りたくなり、洋服を脱いで裸の写真を撮り始めてまとめました。風景は近所などの身近な光景です。
─ セルフポートレートの写真は結構あるけれども、この作品は、妙にリアルで、きれい。アルバム形式というのも写真のスタイルとピタッときている。妊娠している女性が写っています。
友人です。昔からの友人で、つい最近、出産しました。彼女がすごく喜んでくれたのでうれしかったです。でもその時もやはり、同い年ということもあって、どこかに自分はどうなるんだろうなという気持ちが、もちろんありました。でも撮っている時はすごく幸せな気持ちでした。
─ 34歳の女性の生活を想像するのは難しい。なんとも批評できないけれども、ただこの作品自体は、見ていてすごく宙ぶらりん。その言語化できない宙ぶらりんさというところが面白い。あなた自身は、この作品を作ることで何をしたかったのでしょう。
衝動的に自分が撮りたくなった、だから撮ろう、そして撮ったものをまとめたという、非常に単純な流れです。今までも、風景や街などの写真を撮っていたのですが、自分の写真がどこかで見たもののような気がしてしまって、面白くなかったのです。
自分自身のことからは逃げられないのですが、自分のことについては常にいろいろと考えてしまう。きっとそんなことから自分を撮りたくなったのだと思います。わからないものを撮りたくなかったというところもあると思います。
Heymi Lee、Young Eun Sohn [大竹伸朗賞]
二人は中学のときからの友人です。二人で見て得たインスピレーションを分かち合いたくて、写真を撮るようになりました。それぞれの個性を生かしあいながら、一緒に制作しています。 そして、日常自由に感じていることを表現したくて、このコンテストに応募しました。
最初に写真を容れ物に入れることを考えました。カードサイズの写真は親しみやすいし、作品を、はるか以前の記憶をとじこめたタイムカプセルのようにしたかったのです。
新しい写真を古く見せるための手法
1. 沸騰したお湯に入れてみる。しかし失敗。
2. テープを写真に貼ったり剥がしてみたりするが失敗。
3. アセトンを写真に塗ってみる。これも失敗。
4. 砂や石で写真を強く擦ってみる。少し成功した。
5. 写真のはしをコーヒーにつけて染めてみる。これは成功。
齊藤彩 [勝井三雄賞]
いつも絵ができると、撮影をしています。以前のものを忘れてしまう気がするからです。結果として日記のようなものになっています。
絵は、ほぼ毎日描いています。1日1枚だったり、3日で1枚だったりそんなペースで描いています。絵を描いているのは生活の一部で、空腹で食事をとったり眠くなり睡眠をとったりするように、絵が描きたくなり、絵を描いています。
値段の安いケント紙をロールで買い、油絵の具、アクリル絵の具、墨などで描いています。時々、キャンバス、板などにも描きます。絵のサイズは、約135センチ×100センチです。
小さい頃から絵が好きで、大変だけど絵描きになりたいなと思っていました。絵は今でも好きですが、以前の好きとは違い、自分の一部なのかなと感じています。言葉にすることが苦手で、なにをやっても不器用で絵を描いているともいえますが、絵は言葉とは違う、説明よりも、作者よりも、いいのか、悪いのかが大切だと考えました。
楽しい、悲しい、辛い、可笑しい、いろいろ感じたりもしますが、自分はそういうことよりも火事場の馬鹿力で描くことのほうが合っていると思います。日々、体が変わっているように、絵も変わってきたかもしれません。最初はやけくそな思いをなんとか吐き出したかったけれど、最近は現実との折り合いがつかず、ますますやけくそではありますが、いい作品を、そんなものをわからないながら描けたらいい、近づけたらいいと思います。