鈴木亮祐 [優秀賞 グラフィック部門]
北海道の出身なので以前は外に出ると自然がたくさんあって気持ちよい生活を送っていたのですが、3年前大学入学と同時に東京に住むようになってからは、急に、自分が外に出るとただの消費者になっている、という意識が芽生え、どこかに違和感をずっと感じてきました。23歳なんですが、就職等で社会に出る前の今だからできることとは、たぶんそういう意識を形にすることだろうと思ったのです。
─ あなたのパーソナルが、生きてきた過程の中から作品にこめられていったわけですごくリアルです。これが頭で作られていたら「消費文明の中に埋没する人間の姿」などと言葉化できてしまうようなステレオタイプに陥っていたかもしれない。20年ぐらい前、僕は「商品の家畜」という言葉を作りました。人々が消費文明の中で家畜化されていくという意味でしたが、今はまさにそういう状況です。自分がその只中にいるんだという感じが強く伝わってきます。ここまでよくやったね。
2週間くらいその中で生活していたら、だんだん慣れてきました。
消費文化を批判したいとかそういう気持ちは全然ないのです。自分の身の周りの生活に対して100%納得して生きている人間はいないという気がしていて、自分という人間と周りの世界が、ずれている部分があると思い始めました。ただ否定するわけではなくて、その「ずれ」という感覚を作品に出していきたいと思ったのです。社会に出てからも、矛盾を感知する感覚を大事にしながらやっていきたいと思います。
─ 耐える力が現代のように壊れた社会ではすごく大切なんです。いかに耐えていくか…そこからまた何かが生まれてくる。こういう作品はこれまでなかったですし、すごく面白いです。グランプリになってもおかしくない作品だった。
北沢美樹 [優秀賞 写真部門]
私は自分が嫌いです。写真の女の子は去年通っていた予備校の友達です。私は全然似ていないと思うのですけれども、他の人には何回か似ていると言われたことがあります。人としての彼女は、髪の毛も服も真っ黒で、いろいろ我慢をしているみたいです。圧迫された生活をしているという面が、私によく似ていると思います。1年がかりで撮影しました。
─ ありそうでない作品です。北沢さんの生活意識や思いを投影させながら作っているからではないでしょうか。
基本には「他人は自分に興味ない」という意識があるのです。誰でも自分が一番大事だから。外界と自分がうまく相容れられなくて、いらいらしたりすることもあるのですが、でも、どうしても、こんな自分には興味ないでしょうという基本形に戻ってしまう。しかたのないことだと思うと、またさらに苦しくなって。こういうコンテストに応募しても評価なんてされないだろうと思っていました。写真を評価してもらえたことがとても嬉しいのです。
自分を表現できるものは何かないかと探してしまう、写真だったら、とりあえずシャッターを押せば撮れると思って始めたのです。
自分が大好きなんです。本当に大好きで、同時に大っ嫌いなんです。
─ やむにやまれず撮っちゃったわけでしょう。
ストレスとか憂鬱な気持ちをほぐす方法が自分にはほかに見つからなくて。
─ パーソナルな気持ちが作品の中にどれだけ含まれているか。この作品が何かひっかかるというのは、結局あなたのパーソナルが現れているからなのです。今を生きている女の子の意識や揺らぎみたいなものが垣間見える。作品というのはそういうものであって、うまいとかかっこいいとかではない。ただこの作品は実際、結構かっこいい。
この用紙はダイソーで買った普通の厚紙です。A4サイズがなかったので、自分で105枚、カッターで必死に切りだして、プリンターに押し込みました。それに、とにかく安かったんです。紙代は全部で1000円かからなかったと思います。
─ このテクスチャーと雰囲気が何か妙にリアルなんだよね。応募要項に「誰にも見つかりたくない、見つけて欲しい。いると安心なのに苦しい」という言葉があるでしょう。僕が3年前に書いた『渋谷』という本が映画化されるのだけど、その映画のキーワードは「お願い、私を探して」。
探してほしいのに100%は探してほしくない感じですね。最近はインターネットなどで簡単につながれるのだけれども、その反面、やはり探してもらえないところがあると思うのです。探してほしいという気持ちと、隠れていたい気持ちが、同じくらいあります。
─ 自分の存在位置がない。みんなそろって一緒に何かしなければいけないというすごい同値の圧力に圧されて、集団の中で意識向上させていけばいくほど、自分がなくなっていく。この作品を撮ることによって何か変化したことはありますか?
撮ることによってではなく、作品を提出したことで、自分の中でカタルシスがあったような気がします。締め切りの5分ぐらい前にポストに入れたのですが、その日の夜は何年かぶりというくらいに、すっきりといい気持ちでした。
─ 写真はつづけていくの。
子どもを撮りたいと思っています。子どもは私のことを仲間だと思って一緒に遊んでくれるのですごく楽しくて、子どもといたいと思ったのです。
─ 作品をつづけていくうちに何か見つかるかもしれない。写真というのは、自分をセラピーしていく面があるから。写真を撮ろうと思わなくてこういうものができてきたということがすごくいいです。一方で、自分の存在が希薄というストレスがありながら、箱が無印良品の箱でしょう。そこがすごく矛盾している。あれが非常に個性的な箱ならわかるけど。その矛盾もまた楽しいです。
木幡モスキト [佐藤卓賞]
─ プレゼンしようという気持ちがないのかな、ドサーっと持ってきただけ。この編集していないすごさ(笑)。
有坂この作品のきっかけは、私の祖母が去年亡くなったことです。祖母の押入れやタンスなどから、祖母の描いた絵や習字、古い写真、洋服、和服、父の描いた祖母の絵などいろいろ出てきた。宝探しをしているようで、お祖母ちゃんの人生を垣間見れたということが、すごく面白かったのです。そういう作品が作れたらいいなと思って作りました。
─ 2人の分担はどうしているの。
有坂家のプリンターで出力したり、コンビニに行ってコピー機を使ってプリントしたり。いろいろな紙を使っていろいろなことを試行錯誤したのですけれども、そういう作業は2人でやりました。データを作る作業は私がすべてやりました。そういう地味な作業は私で、出力のほうは彼が主にやりました。絵は二人で描きました。
─ おもちゃ箱をひっくり返したようなパワーが面白い。
木幡作品ということはあまり考えずに、とりあえず作ろう、みたいな感じでした。だから楽しかったです。
─ その楽しさが伝わってくる。作るほうも楽しく見るほうも楽しい。お互いに幸福になれる。作品に昇華する可能性の種みたいなものがたくさん入っているよね。たとえると、ピラミッドの底辺だけがあってそこに石を積み重ねているのだが、それが最終的にどうなっていくのかがわからない。このくちゃくちゃな状態が将来どういうふうに頂点を築いていくのかという、可能性をすごく感じるわけ。
有坂ふだんはもうちょっと、ちゃんとした見栄えの作品を作っているのですが。
─ 学校でも、頂点だけを見据えて一生懸命描いている人間より、とっ散らかっていて何をしているかわからないみたいやつのほうが将来伸びるんだよ。有坂さんは、前回大竹伸朗賞を受賞しているから二回目だね。これでこのコンテストは卒業して、今度は外の世界で、賞を土台にしてバーンとすごいのを発表してほしいな。20代というのはどんどん変化していくもので、以前の自分を保つ必要はない。変化するほど、進化していく。そういう世界にいま生きているということをまず知ってほしいです。
柴田春菜 [佐内正史賞]
─ すごくかっこいいよね。とてもデザイン的ですが、古くないし、妙にかっこいい。
パラパラ漫画のような要領で、めくっていくごとに写真が1段階ずつ、前の状態に戻っていきます。見開きの左のページは、セットを組み立てながら順番に撮っていて、だんだん前の状態に戻っていくように逆再生しています。つまり、完成した状態から最初の段階に写真を戻していって、最後に何もない状態になります。右のページは、モデルの化粧が仕上がったところから始まっています。化粧の過程を逆に並べていって、最後にスッピンに戻ります。ライティングやセットにもこだわり、フォトショップとかのソフトで仕上げます。撮影のライティングも自分でしました。それぞれ友人の部屋を貸してもらってその部屋をセットに変えて撮影しましたから、ライトもあまりいいものが準備できなくて、自分の持っているもので間に合わせようとしたため、限界がありました。
パソコンのソフトで描いた絵を重ねた部分もあります。パソコンは敢えてたくさん使おうと思いました。
今の女の人の憧れを象徴しているのはファッション誌の表紙だと思います。女の人はそういった世界に憧れを抱いていて、近づきたいと思ってお化粧をします。けれどもできあがったのは嘘の世界なのです。
表紙というのは、嘘の世界に憧れていることになるのですけれども、嘘の世界に憧れている女の人が化粧をしている姿にはとても人間味を感じます。そのような状態や姿を描きたいと思ったのです。スッピンでも化粧をした後でもなくて、その間を主役にして撮りました。
女の人の憧れの先はそれぞれ違います。かわいくなりたいとかクールになりたいとか、いろいろな人がいていろいろなパターンがあるのですが、素顔を見せてもらうと結構、みんな顔が似ているのです。最後に素顔に戻ると、あどけないと言うか、コンプレックスにまみれた感じが全体的に似ているんです。
女の人の写真集が作りたくて、物語のあるものにできたらいいなぁということで構成を考えました。テーマは彼女たち自身です。
─ ファッション写真と考えたほうがいいのか、普通のポートレートとして考えるほうがいいのか、どっちだろう。
ポートレートです。見かけはファッション写真と思ったら、その人の姿が暴かれていくという。
女性の写真家は、きらびやかな写真を撮る人と、ナチュラル風な写真を撮る人の二つに分かれると思いましたので、その間を撮りたいと考えました。
─ 表現する中で対象との距離をちゃんととっている。当然、写真というのは距離が必要になってくる。距離をいかにとるかというのが写真だから。この作品はちゃんと距離をとって客観視して、対象を対象化している。そのため、デザインとしても成立している。あなたの場合は、パーソナルというよりむしろ、非常にプロっぽい仕事。今すぐにでもプロとしてやっていけそうだね。